私の歩み
座右の銘 「死ぬこと以外かすり傷、乗り越えられない壁はない」
22歳の時、女の世界、中洲のクラブで働き始める。売り上げ金額等の高い目標設定の存在を目の当たりにし、華やかな世界を支える厳しい現実を知る。しかし、そんなノルマに対し深く考えることもなく、素直にホステス道を歩き出す。
日々、共に働く先輩や後輩たちと飲みニケーションを図ることで良好な人間関係を築いていく。「女のサバイバルは怖くない」ということをこの頃に実感する。
2年後、年間1,500名以上のお客様からの支持を得るまでに成長、その後も3年間好成績を維持する。すべてはコミュニケーション、円滑な人間関係のおかげだとその重要さに気付く。
お酒も沢山飲むし元気も良かったことから「アラクレス」というのがその頃の私についたニックネームだった。
一方、プライベートでは興味があった中国語を勉強していた。
アラクレスでは知り合えない人達や環境を持っておきたかった。クラスの中で完全に浮いていたが学びの友も出来て楽しかった。
20代が終わる頃、ふと、別の道を探し始めた。しかし、現実は甘くない。高くなり過ぎたプライドとマヒした金銭感覚が、変わろうとする自分にブレーキをかけることになる。
この時良かったことは、アラクレス時代に中国語を2年間勉強していたということだ。もう環境を変えるしかないと決意。上海へ語学留学し、緩んだ根性を徹底的に叩き直した。生活に慣れてくるとチャイナドリームを夢見て頑張る熱い日本人たちと出会った。絶対に一旗揚げると上海の地で貯金の全てを賭け頑張っている人たちだ。当時の上海にはまだタコヤキがない頃で、夜中までリヤカー屋台でタコヤキを焼いて売る大人がいた。関西出身の彼はそんなに上手ではない中国語でタコヤキの紹介をしている姿が印象的だった。今は中国全土にチェーン展開し、上海のタコヤキ王として大成功している。
当然、誰もが成功を掴めるわけではないが、「一生懸命に生きる」という熱量こそが人生を豊かにするということ、そして、一生懸命は人に伝わるのだと気づく。自分を信じて貫くということを上海の地に住む彼から学んだ。そんな私は、着飾ることもなくなり、等身大の自分で毎日の授業や生活を楽しめるようになっていった。
帰国後、上海で学んだ熱量とスキルを活かし福岡の中華系貿易会社で働くことに。日本人が一人という職場環境の中でも、アラクレス時代に培ったコミュニケーションスキルで刺激的なサラリーマン生活を送る。
ある日、テレビで見たフルーツカービングに魅了され、2012年以降、カービング発祥の地であるタイの専門学校や台湾の野菜彫刻の第一人者の下で学んだ。作品に集中する時間と出来た時の達成感が私を夢中にさせた。
2015年、フルーツ&ソープカービングスクールを開講。多くの受講生と接する中で、モチベーションや達成感といったメンタルに関わる部分が目標達成までに大きな影響を与えることに気づき、2019年、本格的にメンタルトレーニングとコーチングスキルを学び、これらのスキルを正式に取り入れたレッスンをおこなうことで受講生をワクワクさせ続けている。
◆ JADA(日本能力開発分析)協会認定 SBT1級メンタルコーチ
◆ GCS(銀座コーチングスクール)認定プロフェッショナルコーチ
◆ Points of You® Explorer(旧名称:エバンジェリスト)
◆ 予祝講師